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土佐湾
【とさわん】


県南側海域のうち,室戸岬と足摺(あしずり)岬を結ぶ直線約130kmの湾口より内側の海域。湾岸延長約240km・奥行約55km・最深部約1,000mの,南に開いた深海湾で,古くは九十九(つくも)灘,白(九十九の意)湾とも称された。深度200m以浅の大陸棚部分が全体の約7割を占め,水深200~500mが2割,水深500~1,000mが1割となっている。大陸棚の分布傾向は,奈半利(なはり)川河口付近から足摺岬を結ぶ線より内側に広がり,海底傾斜も緩やかである。その外側は,南東方向に向かって漸次深度を増し土佐海段に至る。一方,奈半利川河口付近から室戸岬にかけての沖合いは,大陸棚の幅も狭く,大陸棚斜面も比較的急で,室戸海脚となって室戸岬の南方約40kmまでのびる。土佐湾の海底地形・地質を知る手がかりは現在の陸地の沿岸部に求めることができる。基盤地質は,室戸半島・安芸山地から土佐湾を経て足摺半島・幡多山地にかけての地層がNEE―SWWの走向傾向をもつ四万十(しまんと)帯によって占められている。一般的傾向として土佐湾奥を中心に安芸から佐賀を結ぶ線以北が白亜系の四万十川層群,以南の両半島部は古第三系の室戸半島層群および宿毛(すくも)層群で占められ,北に古く南により新しい地層が分布しているため,土佐湾口付近一帯もこの地層が続いていると推定される。これらの基盤地層の上に四万十帯の新第三系,唐ノ浜層群の堆積岩や第四系の洪積砂礫が所々に乗り,その上に最も新しい未固結の砂や泥が全体を覆っている。基盤地層は安芸付近から佐賀にかけての湾奥一帯が沈降傾向にあり,浦戸湾・浦ノ内湾・須崎湾などの肢湾をもつ。反対にそれ以南の半島部にかけては隆起傾向にある。沈降地域でも仁淀川・物部川など土佐湾に流入する河川のうち,搬出物の多い河川の河口付近では堆積作用が進んで砂浜海岸を形成し,その背後には高知平野のような平坦低地が分布しているが,砂浜海岸は仁淀川河口から東側に多い。その理由は,湾内では堆砂傾向をもつ周期の長い南および西寄りのうねりが多いためと考えられる。これに対し,河川供給物が少なく沈降量の大きな須崎周辺の海岸一帯は,沈降海岸特有のリアス式海岸になっている。一方,両半島部にかけての隆起海岸は,激しい海食作用によって形成された海岸段丘とその前方の海食崖が特徴的である。特に行当岬付近のものは大規模な海岸段丘として知られる。隆起海岸地域の河川は,東側では安芸川・伊尾木川・安田川・奈半利川などが土佐湾に流入し,その河口部にわずかな平野と砂浜海岸が形成されている。西側でも四万十川に代表される狭い河口と入野浜などわずかな砂浜以外は岩石海岸が大半を占める。これらの河川は,土佐湾内においても,古い河道を現在の河口沖に残しており,代表的なものに安芸海谷・須崎海谷・四万十海谷・足摺海谷などがある。土佐湾内の海流は,沖合いを北東流する黒潮本流から分流したものが,室戸岬付近と興津崎付近にそれぞれ突入し,湾内を西流して沿岸潮流となっており,古来沿岸漁業の盛衰に影響を及ぼしてきた。湾内では釣り漁業,機船底引網漁業のほか,定置網や地引網も行われていたが,海岸地形の違いや潮流により場所ごとに漁業形態に違いがみられる。県東部や足摺岬から興津崎付近にかけては釣り漁業とともに,建網・大敷網といった定置網漁業が行われ,イワシ・ムロアジ・カツオ・ブリなどを獲っていたが,定置網漁業は減少した。一方,砂浜海岸では地引網漁業が中心で,半農半漁村も多かったが,沿岸漁業資源の減少に伴い地引網は減少し,農業を主とする集落が多い。また,一子碆を除いて海山・海丘が少なく,砂泥底質の湾内では,湾奥を中心に機船底引網が大正期頃から盛んになってきた。カツオ一本釣りは土佐湾の釣り漁業を代表するもので,江戸期に紀州から製造法が伝来したかつおぶし加工業は沿岸部の地場産業をなしてきた。大正期頃から次第に漁場を拡大し,現在はフィリピン沖から房州沖・三陸沖まで出漁し,足摺岬沖合いでは小型のソウダカツオを中心に漁獲する。土佐清水・土佐佐賀(佐賀町)・久礼(中土佐町)・宇佐(土佐市)などが代表的なカツオ漁業基地で,漁場の拡大とともに下田(静岡県)などにも基地をもつようになってきた。一方,室戸岬周辺ではカツオ一本釣りから遠洋マグロ漁業へと伸展し,室戸市の室津港・室戸岬港(津呂港)などは遠洋マグロ船の基地となっているが,市場に遠いため水揚量は少ない。このほか,江戸期には捕鯨・サンゴ採取も行われ,土佐藩の厳しい統制下に置かれたが,明治以後衰退した。捕鯨は江戸期に尾張から伝えられ,室戸岬や足摺岬沖を中心に行われ,尾池組(現佐賀町)・多田組(津呂組,現室戸市)・浮津組(現室戸市)の鯨組があり,幕末には藩営となった。一方,サンゴ採取は県西部を中心に行われたが,乱獲により湾内での採取量は激減し,今日ではサンゴ取引と,加工に昔日の面影を残す。近年,沿岸漁業は不振で,漁業資源確保のため,湾内各地で人工漁礁の設置が進められ,また内湾での養殖業が盛んになってきた。浦ノ内湾では明治末期から真珠養殖が行われていたが,その後衰退し,現在は浦ノ内湾・野見湾でハマチの養殖が行われている。沿岸の漁村は近世には浦奉行の支配下にあり,東部の上灘(東浦)と西部の下灘(西浦)に区分されていた。両者の境界は時代により異なるが,ほぼ仁淀川の河口付近(土佐市)から浦戸湾(高知市)を境としていた。高知城下町からこれらの漁村を結んで,湾岸沿いに東街道・西街道が通じていたが,湾岸航路は古来重要であった。紀貫之も承平4年の帰任に際し海路難波へ向かっており,「土佐日記」を著した。中世には対明貿易の南海路が土佐沖を通り,浦戸・下田(現中村市)は寄港地として知られた。また,慶長元年にはイスパニア船サン・フェリペ号が浦戸に漂着している。江戸期には,享保3年に,参勤交代路が山越えで陸路伊予に向かうように変更されたが,それ以前は,藩主の参勤交代も浦戸から海路大坂に向かい,手結(てい)(現夜須町)・室津・津呂に掘込港を設けるなどして整備された。ほかに,井ノ尻(宇佐)・須崎・久礼・佐賀などが中世以来港町として知られたが,潮流と波浪のため海上交通は容易でなく,特に岩礁の多い室戸岬沖は難所であった。明治以後も現国鉄土讃本線全通以前は阪神地域との交通は海上交通が主で,高知市を中心に湾岸の港を結ぶ沿岸航路も発達していたが,第2次大戦後衰退した。現在,高知~大阪間,高知―那智勝浦(和歌山県)―東京間にフェリーが就航しており,ほかにあしずり港(土佐清水市)―甲浦(東洋町)―神戸(兵庫県)を結ぶフェリー便もある。重要港湾は高知港・須崎港のみで,セメント・石灰石を輸出しており,近年外洋港の高知新港建設の動きがある。このほか,避難港として室津港・上川口港(大方町)のほか,地方港湾8港がある。また,漁港は第3種漁港として室戸岬・宇佐の2港,ほかに第2種漁港6港,第1種漁港40港がある。




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「角川日本地名大辞典」
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