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東豊永村
【ひがしとよながむら】


(近代)明治22年~昭和30年の長岡郡の自治体名。四国山地に位置する梶ケ森の東から北方にかけての山間地域で,南大王川・南小川の流域および吉野川右岸地域に位置する。村名は当村が江戸期の豊永郷東部地域に位置することに由来する。大平・柚ノ木・怒田・下ノ土居・川井・筏木・大滝・八川・中内・南大王・岩原・西峯・立野・八畝(ようね)・西川の15か村が合併して成立。旧村名を継承した15大字を編成。役場を大平に設置。明治29年西豊永村粟生の一部(寺家)を編入,大字粟生を加える。同32年下ノ土居の一部(中須・福井・牛飼野)が分離,西豊永村下ノ土居となる。明治24年の戸数1,018・人口5,132(男2,734・女2,398),厩12,船2。同29年の管内現状調査(高知地方法務局豊永出張所蔵)では戸数1,193・人口5,196・反別4,910町8反7畝28歩。大正9年の人口5,845,同13年の世帯数1,091・人口6,506(男3,244・女3,262),昭和5年の世帯数1,154・人口5,969(男3,058・女2,911)。就業状況は大正13年の世帯数1,091うち農業704・商業51・工業16・その他320(東豊永史蹟),昭和4年の世帯数1,072・人口5,643(男2,854・女2,789),うち職業別世帯数・人口は,農業876・4,851(男2,448・女2,403),工業62・294(男154・女140),商業53・225(男112・女113),交通業12・42(男24・女18),公務・自由業33・118(男60・女58),その他有業者31・101(男52・女49),無職業5・12(男4・女8)。明治33年当村を通る郡道安野々久生野線(現国道439号)が完成。大正12年東豊永村で現在の国鉄土讃本線を二分し,琴平(香川県)~東豊永間65kmを土讃北線,土佐山田~東豊永間を土讃南線として南北両方面から工事を行い,土讃南線は昭和9年,土讃北線は同10年開通により土讃本線が全線開通し(土佐山田駅五十年の歩み/土佐山田町史),当村域を通るようになった。昭和7年頃の資料によれば,面積5.93方里,耕地252町,戸数1,140・人口5,936(県誌)。同11年の生産総額72万5,891円うち農産44万6,926円・畜産9,982円・林産18万4,904円・水産313円・工産8万3,766円,主要生産品は繭・米・木炭(経済一覧)。同30年大豊(おおとよ)村の一部となり,下ノ土居は東土居と改称し,他の15大字とともに同村の大字に継承。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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