100辞書・辞典一括検索

JLogos

75

東中筋村
【ひがしなかすじそん】


(近代)明治22年~昭和29年の幡多郡の自治体名。渡川(四万十(しまんと)川)支流の中筋川流域に位置する。国見・森沢・楠島・荒川・江之の5か村が合併して成立。旧村名を継承した5大字を編成。明治24年の戸数394・人口1,945(男1,007・女938),厩352,船27。元来低湿地で,中筋川の川底は下田海面より低い所もあり,渡川洪水の際には中筋川を逆流,氾濫を繰り返し収穫皆無のことが多かった。明治11年,当時の楠島村長中平重虎が救済のため,行李の材料で,長時間の浸水に耐え得る杞柳を但馬から持ち帰り,栽培を奨励したことから中筋地区全域に広まった。昭和10年代には第2次大戦による食糧増産を迫られ,また杞柳も連作による害虫で収穫を減じていたことから,次第に稲作に転向していった。戦後は中筋川沿岸各村の築堤が行われ,さらに合流点を下流に移したため瀬割堤防も実崎(さんざき)まで延長され,中筋地区の米作は安定した。大正7年の戸数384・人口2,019(男1,023・女996)。昭和7年頃の資料によれば,面積1.8方里,田326町・畑104町,戸数376・人口1,645,農産8万1,964円のうち米はわずかに3万8,130円にすぎず,特用作物1万9,392円の大半を杞柳が占めていたという(県誌)。同11年の生産総額24万9,452円うち農産19万7,853円・畜産9,571円・林産4万487円・工産1,541円,主要生産品は米・杞柳・繭(経済一覧)。昭和29年中村市の一部となり,村制時の5大字は同市の大字に継承。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7207727