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山田堰
【やまだぜき】


物部川下流,香美郡土佐山田町神母ノ木(いげのき)にある堰。物部川が四国山地東部の剣山山地から南西に走る山地を,峡谷をなして流下し,南部の香長平野に出る谷口の地点にあたる。2代藩主山内忠義の時代,野中兼山が奉行就任後4年目の寛永16年から着工し,引退の翌年の寛文4年まで,26年の歳月を費やして完成させた。高知城下町を挟んで,西の仁淀川の八田堰と対比される土佐藩の二大堰の1つ。丸太組みの四つ枠に栗石を入れて沈めたものを並べる構築法により,松材4万本,石材1,110坪を使用して造られたもので,長さ320m,幅10.8m,高さ1.5mの規模をもつ。物部川の洪水流のエネルギーを小さくするため,さらに下流の洗掘を防ぐため,湾曲した斜め堰として造られたことが特色。この堰から下流に設けられた町田・野市下井などの堰とともに,物部川下流両岸一帯の香長平野の開発,特に台地面の開発と新田化,沖積低地の灌漑の再整備の要として機能した。右岸には山田上井川・山田中井川・舟入川,左岸には父養寺井川の4井溝を派出し,前者は長岡台地や物部川右岸の扇状地性低地,後者は野市台地北部に灌漑用水を供給した。左岸の父養寺井川の完成は明暦元年のことで,香美郡野市町西佐古・父養寺・母代寺・大谷などの各地区約42haを,右岸の山田上井川(正保2年完成)は土佐山田町明治地区など127haを,山田中井川(寛永16年完成)は土佐山田町明治・山田,南国市長岡の各地区など435haをそれぞれ潤した。万治3年完成の舟入川は南国市後免町地区,高知市大津を経て浦戸湾に達し,主として香長平野西半の低地面1,100ha余を灌漑した。これらの用水路は下流の堰から引水する野市上井川・野市下井川とともに香長平野約2,300haの農地を新たに開発し,「堰下三万石」といわれた。この高は当時の土佐藩の石高24万石と比べても,決して小さい数字ではない。山田堰は,傾斜が急で川床が深く,利用の困難な物部川の水を,造堰によりその水位を高め,物部川両岸の長岡・野市両台地を含む香長平野一帯に灌漑の便を与えただけでなく,物部川上流の山間地域の物資を高知城下に輸送する物部~舟入ルートを開き,土佐藩経済の発展に寄与することも企図された。兼山によるいわば当時の地域総合開発計画の要としての役割を担っていた。以来,第2次大戦後まで香長平野を潤してきた山田堰も,現在は堰の老朽化に伴う取水能力の低下などもあり,新しく上流600mの地点に物部川合同堰(昭和48年3月完成)が設けられ,その機能を失い,歴史的遺物となった。山田堰保存についての論議があったが,昭和57年10月から同58年3月にかけて中央部171mが撤去され,右岸側82m,左岸側33mのみが保存されることとなった。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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