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横倉宮
【よこぐらぐう】


高岡郡越知(おち)町越知にある神社。旧村社。祭神は安徳天皇。横倉山の東の峰上にある。かつては新義真言宗の別府山延命院横倉寺が別当寺で,修験との関係が深かった。「土佐州郡志」は胎蔵権現・金剛蔵王権現・白山権現を合祀し,のち熊野三所権現を勧請したとする。「南路志」は当宮を上ノ宮(金峰山本宮),山腹の杉原神社を中宮(金峰山三所蔵王権現),山麓の横倉神社を下ノ宮(横倉三所熊野権現)と称した。社蔵の銅板線刻御正体は,径19.7cmの平安末期から鎌倉初期のもので形制よく美作の1つ。木造蔵王権現立像は像高55cmの一木造りで,古拙で重厚な作風を示す藤原期の作である。平安末期から鎌倉期にかけてのものと思われる4つの経筒のほか陶器があり,現存しないが保安3年の銘をもつ経筒もあった。こうしたことから横倉宮の創建は平安末期頃までさかのぼると考えられ,横倉山の山容と相まって修験の場として信仰を集めたと思われる。横倉宮背後の通称馬鹿だめしのすその石灰岩の小洞穴は,古来祭祀の場としての役割を果たしてきた。文明16年・大永5年の棟札には蓮池(現土佐市)の大平氏の名が見え,以降の棟札にも片岡・中村など周辺土豪の名が見える(蠧簡集)。「南路志」によると横倉寺の横倉宮牛王は国中で売られたという。横倉寺は,明治の排仏毀釈で廃寺となった。横倉山には平家伝説があり,近世の「横倉山中見聞記録」に,「誠に下の宮ハ安徳天皇の御陵にして,中の宮ニハ御像を留メ,本宮ハ御霊也と言伝るも虚事にあらし」と記す。横倉宮の北西に安徳天皇御陵参考地があって宮内省の所管となった。明治に入り御嶽神社と称し村社に列し,昭和24年横倉宮と改めた。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7208630