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藍島遠見番所旗柱台
【あいのしまとおみばんしょはたばしらだい】


江戸中期の小倉藩の密貿易船監視所通信施設。北九州市小倉北区藍島字高山に所在。県史跡。藍島は,北九州市若松区の北岸埋立地の北方約5km,響灘に浮かぶ長さ約2kmの細長い小島で,海上交通の要衝である関門海峡の西口を押える位置にある。長崎における対外貿易は17世紀末近くの貞享年間頃から輸入超過となり,それによる金銀の流出を防ぐためなど貿易そのものの制限が強化された。それによって長崎を締め出された清国船の中には漂流を装い,密貿易を行うものが現れた。宝永2年頃からは北九州沿岸にも出没するようになり,その数は次第に増加した。幕府は沿岸に位置する長州・小倉・福岡の3藩に唐船打払い,すなわち清国密貿易船の撃退を命じた。これを受けた小倉藩では,兵船を出して清国船を追い払うとともに,葛葉(くすは)(門司区)・馬島(小倉北区)・藍島の3か所に遠見番所を設け,海上警備を強化した。そして緊急の場合に小倉の藩庁へ通報するための施設として,享保6年4月に設けられたのが旗柱台である。縦45cm,横62cm,高さ240cmの花崗岩製の石柱を2本立て,その間には基盤石が据えられている。石柱の上部にはそれぞれ横方向の小孔が穿たれているが,これは立てた旗柱を固定するためのものであろう。海上に不審な唐船を発見した場合は,紺地に三階菱(藩主小笠原氏の家紋)を白く染め抜いた大旗をこの旗柱台に掲げ,中原(戸畑区)の番所を経由して藩庁に急報した。小倉藩ではこのような密貿易船の取締りに手を焼き,それにともなう臨時支出の急増がやがては藩財政を悪化させる一因になったともいう。現在では,関連遺跡を含めてこの種の遺跡はほかに残っておらず,当遺跡はその意味で注目されるだけでなく,江戸期の海上交通・海上警備に関連する通信手段およびその施設などを知る上においても貴重である。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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