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市小路浜
【いちしょうじはま】


旧国名:筑前

(近世)江戸期~明治8年の町名。江戸期は博多の1町。市小路町浜ともいう(続風土記付録)。御笠川河口左岸に位置する。はじめ新町流,幕末期からは浜新町流のうち。東は浜口浜に続き,西は萱堂町と交わる横筋町で,市小路下の北に立地する(三奈木黒田家所蔵福博古図)。市小路は一小路で,太閤町割りの際,最初に縄張りされた町であることによる。元禄年間の家数33(続風土記),宝暦年間の家数34・間数115間余(石城志)。地内に裏町があり,宝暦13年町並み地となった(続風土記付録)。稲荷社があった。元禄15年御船方が町奉行郡次兵衛と深見五兵衛を立会とし,表口10間・入15間の御船板木屋を建てた。しかし手狭となったため,享保10年には表口東西21間,入南北24間に増地した。宝永8年当町に居住する年行司白水八郎左衛門が,表粕屋郡の立山を旧功により拝領した。寛保3年の大風では,当町は舟3艘破損,死者4名という被害であった。延享4年は,夏以来の米高値で困窮者が多く,当町では57名の飢人が出た。宝暦6年には,金沢屋六兵衛父子,赤土屋源蔵などの富者が飢人を救ったという(博多津要録)。慶応2年当時は,隠岐国材木問屋の北国屋源平が当町一の商家で,質物の清水屋平吉,糀室の金沢屋八兵衛が続いた。ほかに代呂物・煮売・薪・生魚店があり,搗米・塗師・髪結の職人や志荷商人が住んでいた(博多店運上帳)。明治4年の町格は中で,定切銭は9貫文余納めた(石城遺聞)。同8年大浜町1~4丁目となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7209175