犬丸
【いぬまる】

旧国名:豊前
英彦(ひこ)山山地から北流する祓川の中流右岸に位置する。地名は戦国期の城郭に由来するというが,中世の名田の名に由来するものか。地内には広丸の小字もある。集落南側の丘陵(弓ノ馬場)上には弥生遺跡,北側の紺屋平の丘陵先端部には10基近くの古墳が散在。集落前面の耕地には条里の地割が認められる。字経塚には経塚址がある。「太宰管内志」には「犬丸城ハ仲津郡城井庄犬丸村ニアリ。天正十四年落城後荒廃」とある。宇都宮氏の家臣野中氏の家来が籠城したが,黒田長政の軍に攻められ数百人討死したという。集落は,もと弓ノ馬場丘陵の北麓にあったが,江戸期(天明2年~寛政2年)の間に3回の火災にあい,ほとんど全滅したので現在地に移動したという。集落内には計画的地割や用水路が認められる。
【犬丸村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【犬丸(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7209263 |





