今古賀
【いまこが】

旧国名:筑後
塩塚川中流右岸に位置する。地名は新しい空閑地を意味し,空閑地とは水田に適せぬ高い土地の意。集落の西部に塚があり,鎌倉期の土器が出土。室町期に柳川城の支城今古賀城があり,末松伊豆守の築城と伝えられる。平浄庵には永正15年大乗妙典一千部の板碑,天文8年造立大乗妙典一千部法華経二千部奉看読の板碑がある。この碑は蒲池鑑憲と妻乙鶴姫夫婦の逆修碑である。また,蒲池因幡入道(鑑憲)は元亀2年城内山王宮に六地蔵を建立逆修しているが,この碑は現在柳川市出来町長命寺にある。鑑憲の墓は平浄庵にある。鑑憲は鑑盛の弟で,今古賀城主であったと考えられる。三島神社境内の竜神宮の風流は昭和48年県無形文化財に指定された。
【今古賀村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【今古賀(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7209306 |





