鋳物師町
【いもじまち】

旧国名:豊前
(近世~近代)江戸期~現在の町名。江戸期は小倉城下の1町。小倉城の北西に位置する。西曲輪のうち。西曲輪から西北の大門・溜池口門をぬけ,旧板櫃川を渡る海に近接した東西224m余の町並み。元和3年に祇園社(現在は城内に移築され,八坂神社と称する)を勧請した。また当地で三大鐘を鋳造し,その職人が居住して鍋・釜・犂先などを製造するようになり,次第に町並みを形成したという,職人は仲津郡金屋村(現行橋市)の出身で,当地を金屋町とも称したともいう(小倉市誌)。享保9年に小倉城漏刻の鐘が鋳造され,冶工は安部治右衛門藤原貞種・同清九郎藤原吉貞(小倉藩史年表)。享保17年の飢饉で25人の餓死者を記録した(開善寺過去帳)。その死者の霊を慰める梵鐘が造られ,冶工吉村彦左衛門尉藤原信次鋳造の鐘(現鞍手郡宮田町極楽寺鐘)が伝存する。幕末期の城下町屋敷絵図によると,町家は54軒,うち釜屋10軒・鍋屋4軒・鍛冶屋8軒。当町東方に東蓮寺,西方は長円寺・祇園社から武家屋敷の不断町へと続く。明治17年の戸数68・人口318,同20年の戸数84。同22年小倉町,同33年小倉市,昭和38年北九州市小倉区,同49年からは同市小倉北区に所属。明治13年鋳物産物会社,同25年広谷水産物製造所建設。昭和12年小倉機械工業組合設立。同22年の世帯数124,人口528(男264・女264)。同46年一部が大門1~2丁目となり,同47年平松・板櫃の各一部を編入。世帯数・人口は,同50年326・1,017,同58年554・1,165。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7209344 |





