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上野村
【うえのむら】


旧国名:豊前

(近世)江戸期~明治20年の村名。豊前国京都(みやこ)郡のうち。行橋平野の西端,田川郡界の障子ケ岳の東麓に位置する。地内には西は筑前太宰府に通じ,東は豊後に通ずる太宰官道が通っていた(古代日本の交通路)。それより南の江戸初期に開かれた七曲峠も坂を下ると当地を通った。障子ケ岳には戦国期障子岳城があって,交通路を押さえていた。「豊国紀行」には「七曲東ノ麓ニ上野村有。其西ニ障子岳アリ。天正十四年黒田孝高ノ攻メ落シ給ヒシ城跡ナリ」とある。小倉藩領。久保手永に属す。村高は,「正保国絵図」330石余,「元禄国絵図」329石余,「天保郷帳」496石余,「旧高旧領」489石余。元和8年の家数55・人数71(男39・女32),牛8・馬7(人畜改帳)。享保飢饉の餓死者は50人(開善寺過去帳)。字上野山の若宮八幡神社は承和2年創建という(社伝)。明治3年の上野村人別改帳によると,家数40・人数159(男85・女74),うち木挽2・無高百姓2。同14年の戸数54(うち神社2)・人口221(男113・女108)。同18年の地積は田31町余・畑6町余・宅地2町余(京都郡誌)。同20年松田村の一部となる。現在は勝山町松田の通称。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7209409