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魚町
【うおまち】


旧国名:豊前

(近世~近代)江戸期~現在の町名。江戸期は小倉城下の1町。小倉城の東,紫川と砂津川の間に位置し,町並みは南北に延びる。北は米町,南は紫川に注ぐ神岳(かんたけ)川,東は鳥町,西は大坂町・武家屋敷と接する。東曲輪のうち。西曲輪にも同名の町があり,西の魚町に対して東魚町ともいった。寛永元年に「東小倉魚町屋頭もち屋より出火」の記録があり,同6年には「東魚町三町」と町並みが成立していたことが知られる。正徳年間には1~4丁を数え,享保年間頃,3丁目の西側に瓦葺の二階屋が3軒立ち並んで大勢の見物人が集まったという(倉府見聞集)。享保17年の飢饉による餓死者は67人(開善寺過去帳)。幕末期には1丁目27軒・2丁目30軒(うち11軒は万屋仁兵衛抱持)・3丁目30軒・4丁目46軒余の町家が見える(城下町屋敷絵図)。魚屋の屋号をもつのは2丁目に1軒のみであるが,町名にふさわしく,紀国屋・長浜屋・油屋など魚問屋がある。文久年間の城下酒造業者24軒のうち,魚町2丁目に米屋和助,同3丁目に木屋藤兵衛,同4丁目には岡野屋権三郎・米屋十右衛門の名前がある。4丁目の神田屋岩蔵は醤油製造業,久松屋吉左衛門は質屋商,2丁目の大黒屋儀兵衛は薬種商を営んでいた(小倉市誌)。明治17年の戸数129・人口623。同22年小倉町,同33年小倉市,昭和38年北九州市小倉区,同49年からは同市小倉北区に所属。昭和46年からは1~4丁目がある。同46年鳥町と京町・米町・大坂町・堺町・鍛冶町・船場町・紺屋町・古船場町の各一部を編入。昭和22年の世帯数181・人口830(男387・女443)。1・2丁目の間を西鉄北九州線,東端を都市モノレール小倉線が通る。東の平和通り沿いには各種金融機関が並び,中央部には銀天街と称する商店街がある。かつて旦過町と通称された4丁目付近には生鮮食品の店が集まり,北九州の特異の商店街となっている。世帯数・人口は,昭和50年275・886,同58年163・433。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7209418