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内田村
【うちだむら】


旧国名:筑後

(近世)江戸期~明治9年の村名。筑後国上妻郡のうち。耳納(みのう)山地から南西に広がる広川山地の南側にあり,広川の流れが山間部から平地へ入るところに位置する。はじめ柳川藩領(田中氏),元和6年からは久留米藩領。川瀬組に属す。村高は,「元禄国絵図」109石,「在方諸覚書」の古高175石,「天保郷帳」117石余,「旧高旧領」294石余。天正17年に筑後の国の検地があり,村号が定まった。竿頭山口玄蕃頭,上妻郡の検地頭は長崎伊豆守で,この検地での出目9,000石を毛利秀包に加増され上広川・下広川の両庄は久留米領となった。甘木村16町・内田村4町この両村はもと甘木家長累代の領地であったが,そのうち傍爾(ほうじ)1町・佐耆(さいき)3反6畝・十仏田2反・八幡前1反5畝および井上倉石祓川の民宅4か所は吉常村内となり,本古町田宅は津江村内となり,小路丸(こうじまる)1町は豊福村内となり,北戸諏訪5反は宅間田村となり,鹿子(かのこ)1町は長延村となる。貞享元年11月字堤谷に新塘を築き,水田5反余の用水となった(家勤記得集)。文化4年の本田11町4反余・開田1町余・畑田6反余・畑4町2反余・居屋敷2反余,春免高235石(農政農民史料集)。字泉元寺にある天満神社の社殿は寛文4年再興,明治6年村社となり,例祭は11月4日。明治9年水原村の一部となる。現在の広川町水原の一部。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7209452