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大浦寺荘
【おおうらでらのしょう】


旧国名:筑前

(中世)南北朝期~戦国期に見える荘園名。筑前国粕屋郡のうち。安楽寺天満宮領。大浦寺は,天喜初年かと思われる大宰府政所牒案によれば平安期康保年中に創建され(太宰府天満宮文書/平遺4623),大浦寺荘は長保3年安楽寺遍知院に寄進されたと「安楽寺草創日記」に記されている(太宰府天満宮文書/天満宮史料4)。大浦寺荘はもともと大浦寺の荘園の総称であり,各地に散在していたと思われる。南北朝期,正平25年5月26日大浦寺荘内の砥上村に関する安楽寺寺家の大鳥居信高と小鳥居信意の相論に対し,大鳥居信高の知行とするという菅家長者の安堵がなされた(太宰府天満宮文書/天満宮史料12)。永徳2年9月10日には,砥上村の地頭職も大鳥居氏に付せられて中津河氏の押妨がしりぞけられ,明徳3年9月30日には,大浦寺荘内砥上村田土王丸名の預所職が大鳥居氏に与えられている(同前)。しかし,天文7年2月6日には,大内氏により大浦寺分田地1反2丈・畠地1反半が小鳥居氏に還補される(太宰府天満宮文書/県史資料7)など,安楽寺の留守職をめぐる大鳥居・小鳥居両氏の葛藤を反映して大浦寺の知行もゆれ動いてきた様子がうかがえる。なお,文安6年9月18日安楽寺大鳥居信堯らが大鳥居職・府中坊地屋敷以下を注進した中に,「同(筑前)国薦田庄之内大浦寺田地之事」と見え(同前/博多史料2),この大浦寺が前述と同寺であるなら大浦寺は現在の飯塚市内に存在したことになるが,詳細は不明。大浦寺荘の比定地は未詳。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7209649