大塚村
【おおつかむら】

旧国名:筑後
筑肥山地の一部を形成する清水連山の北西山麓に位置する。地名は東南部の老松神社境内にある大塚(蜘蛛塚)古墳に由来するという(瀬高町誌)。地内には大道端遺跡,長谷・相撲場・山内・日吉坊の各古墳群があり,著名な女山神籠石が古塚山を中心に連なっている。巨泉山(古僧都山)叡興寺本堂前庭には鎌倉・室町期のものと考えられる2基の五輪塔があり,曽我兄弟の墓という伝説が残る。その他,天文20年の銘をもつ自然石梵字板碑や近世前期の十王像(現在は七王)・九重石塔がある。延元2年,肥後の菊池武重・恵良惟澄らは一色道猷とこの地で戦い,また永禄8年,猫尾城主黒木鑑隆が戦没した古戦場でもある。
【大塚村(中世)】 戦国期に見える村名。
【大塚村(近世)】 江戸期~明治9年の村名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7209722 |





