大野城市
【おおのじょうし】

(近代)昭和47年~現在の自治体名。御笠川の上・中流域に位置する。大野町が市制施行し,同時に改称して成立。町制時の31町11大字を継承。自治体名は天智天皇4年に築かれたわが国最初の朝鮮式山城大野城にちなむ。市役所は曙町2丁目にある。真中のくびれた南北に細長い市域であること,また元来農村地帯であったところに人口が急増したため,「まどか運動」を開始し,新旧住民の融和を図り,さらに市域を中央・北・東・南の各コミュニティ地区に分け,住民のつながりを重視したコミュニティづくりを推進している。その結果,スポーツや福祉などの各施設も充実し,「まどか市民祭」や「おおの大文字まつり」など,市民主導の新しい祭りも起こった。現在では農業従事者は2.1%にすぎず,農地の都市用地転換が著しい。山地は東北部に大城山・乙金山があり,南に背振山地の牛頸山を中心とする丘陵が広がる。中央平坦地は市域の50%を占め,御笠川・牛頸川が流れる。太宰府の西に位置するため,大野城跡・御笠の森・筒井の井戸など史跡は多い。特に大野城のある四王寺山は県民の森として整備され,歴史探訪やハイキングで親しまれている。鹿児島本線の白木原・水城駅,西鉄大牟田線の白木原・下大利駅がある。国道3号と福岡南バイパスが並行して市のほぼ中央部を南北に走り,太宰府市との境に九州縦貫自動車道太宰府インターチェンジがある。世帯数・人口は,昭和47年9,740・3万6,757,同55年1万9,843・6万4,109。人口増加に伴って区画整理が行われ,同56年からは住居表示実施に着手している。昭和49~61年の間に平野台1~4丁目・南ケ丘11~14丁目・つつじケ丘1~3丁目・仲畑1~4丁目・緑ケ丘1~4丁目・乙金1丁目・下大利団地・大城1~4丁目・筒井1~3丁目・川久保1~3丁目・大池1~2丁目・御笠川1~6丁目・山田1~4丁目・東大利1~4丁目・下大利1~5丁目・中央1~2丁目・上大利1~3丁目・紫台・瓦田1~3丁目・白木原1~5丁目が起立,この間に下大利・仲島の2大字が廃止され,現在97町9大字を数える。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7209752 |





