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鍛冶屋町
【かじやまち】


旧国名:筑後

(近世~近代)江戸期~昭和48年の町名。江戸期は久留米城下の1町。城の南方に位置し,東西に向かう小町で,北は米屋町,南は池町川に沿う。地名の由来は,久留米藩旧家由緒書によると,秋山屋吉平の先祖が有馬氏に従って丹波国から下って当町に居住し,御用鍛冶であったとされ,これにちなむ。「石原家記」の寛永21年の条には,「真言宗常楽寺,鍛冶屋町に建立」と町名が見える。宝永年間の家数15(啓忘録抜萃),安永年間の町間数57間(筑後志)。江戸末期の掛り町別当は紺屋町の砥屋であった。明治17年の戸数18・人口96。同22年久留米市の町名となる。道幅狭い裏通りのため次第に衰微,大正14年の戸数16。昭和20年戦災で全焼。戦後の道路整備と池町川の補修工事で町域は縮小した。同45年の世帯数4・人口14。同48年一部を日吉町に編入し,残余は中央町となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7210029