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片土居町
【かたどいまち】


旧国名:筑前

(近世~近代)江戸期~昭和41年の町名。江戸期は博多の1町。那珂川下流右岸に位置する。土居町流のうち。掛町と川口町を結ぶ町。文禄初年,長門(ながと)国船木から来た櫛工が当地に住んだので,櫛挽町ともいわれ,筑紫櫛が生産された(石城志)。元禄年間の家数39(続風土記)。宝暦年間の家数44,間数161間余(石城志)。木櫛細工の店が,寛政年間ころに19軒,慶応年間ころに7軒あった。袖の湊の入海を埋め立てた名残の溝の大水道が,町を横断する(三奈木黒田家所蔵福博古図)。寺院は,時宗称名寺,浄土宗順弘庵・栄昌庵,日蓮宗宗玖寺があった。宗玖寺では,江戸期に売薬(山田振薬)を売っていたという(続風土記付録)。明治12年の戸数55・人数301,物産は木櫛・荷車・博多織帯地,民業は工31戸・商14戸・雑業14戸(福岡区地誌)。明治11年福岡区,同22年福岡市に所属。同年の戸数65・人口336(福岡市誌)。明治13年には,大水道に蓋をして,その上に新道が造られ,片土居新道と呼ばれた地に店舗ができ,大正期~昭和期と繁盛した。同32年寄席の雄鷹座が建ち,大正元年には,称名寺の境内に博多大仏が開眼されるなど当町は博多の一大名所となった。しかし,大正7年には,寺・大仏などが馬出(まいだし)に移され,大仏は戦時の銅鉄回収で,閉眼された。明治43年の市内電車開通により,町は中断される。昭和20年の戦災で全町焼失したが復興,商店・会社の立ち並ぶ繁華街となった。同41年上川端町・下川端町となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7210068