片原町
【かたはらまち】

旧国名:筑後
(近世~近代)江戸期~昭和48年の町名。江戸期は久留米城下の1町。城郭の南方に位置し,西は呉服町,東は通町に続く。「家勤記得集」の慶安4年外濠普請の条に町名が見える。地名の由来は,通りの北側が外濠沿いの草が茂る広手で,南側だけに家並みがあったことにちなむ。宝永年間の家数26(啓忘録抜萃),安永年間の町間数1町58間(筑後志)。享保12年藩接客用の御使者屋が置かれ,天保初期に両替町に移された。また領内の大庄屋の会所が廃藩時まであった。江戸末期の掛り町別当は両替町の井筒屋であった。紙類と丸散薬取扱いを許された旧家の紙屋は,武者修業中の剣客などの旅館としても知られた。明治17年の戸数29・人口132。立地条件が劣り,明治期以降にはめぼしい発展はなかったが,明治11年に旧大庄屋会所を改造した久留米国立六十一銀行設立。同22年久留米市の町名となる。同41年久留米特産の籃胎漆器商店久籃社が設立された。大正14年の戸数23。昭和20年戦災で焼かれるが,第2次大戦後道路の拡張などが行われた。同45年の世帯数10・人口40。同48年一部を通町に編入し,残余は同年城南町・中央町となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7210079 |





