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勝浦浜
【かつらはま】


宗像(むなかた)郡津屋崎町勝浦にある砂浜海岸。北の草崎半島から南の渡半島に至る約5kmの砂浜の北半を占め,南端は白石浜という。海岸沿いの砂丘には松が密生,年毛松原と称する。年毛松原は,かつては海の中道と称する陸繋砂州で,寛文11年の勝浦潟の新田や塩田の造成により陸化した。粕屋郡の那多浜も海の中道と呼ばれたが,「続風土記」は「宗祇法師が指南抄曰,海の中道,桂潟,宗像にあり……又粕屋郡那多浜を海の中道と云説有。されと山まてつゝくと云歌にはあはす。宗祇が説を是とすへし」としている。西は玄界灘に面し風浪は一般に強く,しかも砂浜であることなどから,港は北風の避け得る草崎半島の付け根に立地,江戸期から御用港として貢米や食塩の積出しなどでにぎわった。また,「漁家多し,産神ハ年毛大明神也。昔より此浦と津屋崎浦とで網場ハ渡山の北面白石という地を以て境とせり」と「続風土記」にあるが,勝浦村は寛永17年に,白石の網場をめぐって津屋崎浦の漁民との間で長年続いた境界争いに敗れ,白石漁場は津屋崎浦のものとなった。廃藩後は,年貢米の積出しがなくなり,航海業者も減少。砂浜での鰯地曳網をはじめとする網漁業は早くから発達し,幕末に豊前地方から延縄漁業が導入され,釣漁業も展開,明治18年に,沖合でイタヤガイ採集が始まり,一時活況を呈した。大正期には漁家50余戸,年間漁獲量2万円余と隣町の神湊浦の3分の1程度となり,昭和49年には神湊漁協と合併した。近年は,海水浴客が筑豊方面から訪れ,海の家を営む家も見られる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7210108