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金屋町下
【かなやちょうしも】


旧国名:筑前

(近世)江戸期~明治7年の町名。江戸期は博多の1町。御笠川下流左岸に位置する。石堂流のうち。東は竪町下,西は浜口町下に続く縦筋町(石城志地図)。町名は,かつて釜師が多く居住していたことに由来するという(石城志)。また,一説に釜屋町下とも書いたといわれ,釜の鋳造は寛文年間ころに年行司十二人の1人であった太田宗春が始めたものと伝える(福岡区地誌)。元禄年間の家数27(続風土記),宝暦年間の家数28,間数64間余(石城志)。宝暦9年藩は長寿者の改めを行ったが,博多では当町の次右衛門母が90歳以上11人の1人として書き上げられた(博多津要録)。慶応2年当時,当町の鍛冶職は七兵衛のみで,ほかに畳職・石工・塗師の職人,小規模な柑類・野菜・煮売の店があるのみであった(博多店運上帳)。明治4年の町格は下の下で,59間余の間口に2貫文余の定切銭が課されていた(石城遺聞)。明治7年下金屋町と改称。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7210143