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鐘岬
【かねのみさき】


宗像(むなかた)郡玄海町の北東端にある岬。四塚連峰の湯川山が筑前海域に没する所,佐屋形山が陸繋化してできた岬で,古名は崎戸(さきと)山。玄海国定公園に属し,岬から地ノ島・倉瀬・大島と連なるリッジにより,筑前海域を南の玄界灘と北の響灘に分ける。「ちはやぶる金の岬を過ぎぬともわれは忘れじ志賀の皇神」と「万葉集」巻7に歌われ(古典文学大系),武内宿禰を祀る織幡神社の縁起によれば,鳶尾山の麓の池に大きな鐘が沈んでいた。海神がその鐘を欲しがって,ある時海中に沈めた。鐘の沈んでいる所は,神社の子丑の方角に当たり,社家と古老だけが知っており,小舟に乗って行き,御幣・供物を供えて祈れば,海の底からかすかに鐘の音が聞こえることから,この海を響灘といい,岬を鐘岬と呼ぶようになった,と伝える。「宗像軍記」によると,文明5年,宗像大宮司興氏が女人の髪の毛を継ぎ合わせて大綱を作り,この鐘を引き上げようとしたところ,海神が惜しんで火の雨をふらせたため成功しなかったが,代わりに翁面が2面海底から浮上したといい,岬の裏の灯籠台という所にあった松の大木は,大綱を掛けた鐘掛の松という。黒田長政も慶長9年,大がかりな引揚げを試みたが,激しい風雨に阻まれ失敗に終わったと「続風土記」は記す。その後も何度か沈鐘引揚げが目論まれたが,いずれも失敗,大正期になって引き揚げられたのは,釣鐘型の巨岩であった。「地名辞書」は「按ずるに此鐘の岬は,黄金の岬にてはなきや,さる故は此岬より程近き所に昔より金を掘取し処あり。これを上八村と云て,地脈此岬に通じたるが如し,之を梵鐘を沈めしによりて其名起ると云ふは,付会ならむ」としている。岬の突端にある織幡神社裏山の境内林は,神木のイヌマキの巨木をはじめ,シイ・ハマビワ・タブ・ヤマモモ・ヤマツバキなどが繁茂し,暖帯林相をなし,昭和32年,イヌマキの天然林は,県天然記念物に指定された。岬の基部に当たる響灘斜面の深浜には,とる漁業から育てる漁業への期待を担って,県立栽培漁業センターが立地。春~秋にはクルマエビ・アワビの種苗,秋~冬にはアユの種苗生産と,魚貝類資源増殖のための放流用種苗を大量に生産配布し,栽培漁業技術の研修も行われる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7210161