上警固村
【かみけごむら】

旧国名:筑前
(近世)江戸期~明治20年の村名。筑前国那珂郡のうち。那珂川中流右岸に位置する。地名は,古代に大宰府の警固田が設けられていたことに由来するという(続風土記拾遺)。中世には警固村と見え,近世初頭に当村と下警固村とに分かれた。福岡藩領。天正年間の「指出前之帳」によれば,地積・分米は田18町余・249石余,畠3町余・26石余,合計21町余・275石余。村高は,「慶長国絵図」378石余,「正保郷帳」324石余(田288石余・畠35石余),「天保郷帳」435石余,「旧高旧領」425石余。地内に上警固神社がある。明治初期の戸数32・人口153(男73・女80),反別は田24町余・畠4町余・大縄田畑1町余,産物は米・大豆のほか櫨500斤・菜種29石余(地理全誌)。同20年警弥郷村の一部となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7210263 |





