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上東鰺坂村
【かみひがしあじさかむら】


旧国名:筑後

(近世)江戸期~明治9年の村名。筑後国御井郡のうち。筑後川の2次支流思案橋川流域に位置する。鰺坂の地名の由来は,昔沼が多く,アジガモが群れ飛んでいたことにちなむといわれ,当地はその東に位置することによる。もとは東鰺坂村一村であったが,「元禄郷帳」では上・下2か村に分けて記される。はじめ柳川藩領(田中氏),元和6年からは久留米藩領。五郎丸組に属す。村高は,「元禄国絵図」683石余,「在方諸覚書」の古高988石余,「天保郷帳」707石余,「旧高旧領」990石余。文化4年の田60町余・畑7町余(農政農民史料集)。寛延記によれば,上・下東鰺坂両村の氏神である若宮八幡宮,末社に松尾大明神・天満宮がある。一向宗清涼山光桂寺は寛永15年の創建という。筑後川治水工事の功労者・代議士の佐々木正蔵は当村旧庄屋。明治9年八坂村の一部となる。現在の小郡(おごおり)市八坂の上八坂地区にあたる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7210346