100辞書・辞典一括検索

JLogos

13

上南方村
【かみみなみがたむら】


旧国名:豊前

(近世)江戸期~明治20年の村名。豊前国企救(きく)郡のうち。紫川中流域に位置する。村名は,郷帳・国絵図類には見えず,幕府に対しては南方村1か村として書き上げられ,当村名は「旧高旧領」が初見。しかし,江戸後期までには藩内で上南方村・下南方村2か村として扱われ,幕末期までには公式にも2か村に分かれた。古くは船原と称し,神功皇后の御船を造営した地と伝えられる(企救郡誌)。小倉藩領。城野手永に属す。村高は,「旧高旧領」267石余。明治初年の「村誌上南方村・下南方村」によれば,税地は田22町2反・畑6反・宅1町6反,戸数33・人口138(男69・女69),牛6。明治2年の企救郡百姓一揆では,当村にあった徳力村庄屋宅などが打ちこわされた(福江家記録)。同20年南方村の一部となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7210374