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川瀬組
【かわぜぐみ】


旧国名:筑後

(近世)江戸中期以降の組名。久留米藩領における広域行政区画である大庄屋組の1つ。筑後国上妻郡のうち。吉常組とも称した。当組に所属する村は,文化4年には古賀・川瀬・長徳・太田・吉里・当条・知徳・牟礼・一条・藤田・清楽・高間・太原・甘木・長延・内田・六田・扇島・増永・久泉・吉常の21か村(農政農民史料集)。宝暦年間頃の「在方諸覚書」によれば,所属村は21か村。文化4年の石高(内検高)は本地1万1,236石余・開方1,677石余,反別は本地647町余(うち田401町余・畑田42町余・畑193町余・居屋敷10町余),この物成3,902石余,開方136町余(うち田65町余・畑田73町余・畑64町余),この物成517石余(農政農民史料集)。宝暦7年には吉常組と見え,竈数946(御旧制調書/久留米市史)。大庄屋は,初期は古賀村の稲員氏,享保年間は萩尾氏(長延組),ついで吉常組の西村氏のあと宝暦年間以降は竹重氏(もと竹下姓)が川瀬組を立てる(矢賀部家文書/久留米市史)。大部分が現在の広川町の一部にあたるが,若干が久留米市・筑後市の一部にかかる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7210473