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瓦町
【かわらまち】


旧国名:筑前

(近世~近代)江戸期~昭和44年の町名。江戸期は博多の1町。御笠川下流と那珂川下流に挟まれて位置する。はじめ新町流,幕末期からは岡新町流のうち。住吉村などの郡部から博多に入る主要道に立地して栄えた。元禄年間の家数43(続風土記),宝暦年間の家数47,間数約219間(石城志)。町名の由来は,黒田長政筑前入りの時,播磨から連れて来た瓦師たちを居住させたことによる(続風土記)。夜須郡甘木,粕屋郡青柳などでも瓦は焼かれていたが,とくに当町に多くの陶工が住み,屋根瓦のほか,各種瓦器を作っていた(続風土記土産考)。町の西側に妙静寺という浄土真宗寺院があった。山崎新左衛門が瓦師の寄合所として小舎を建てたのがはじまりという(続風土記付録)。往古住吉神社の大祭に神輿が吉祥天女社に渡り,翌月還御の折伶人たちが音楽を奏したという。これによりその道筋の橋を管弦橋といい,その辺りを管弦町ともいった(石城志)。その後戦乱により荒廃したが,天保10年に再建されたという。延享2年従来2名であった町年寄は内紛が多いため1名に減ぜられた。宝暦2年には博多中諸切銭の集まりが悪く,不納の町は町年寄を釘付けにするという達しが出されたが,当町も不納として名を記されている(博多津要録)。慶応2年当時も瓦師・陶工,素焼を営む者が多く,糀の盛松屋源兵衛,代呂物屋・質屋・辛子櫨実屋のいわし屋久右衛門が大店(博多店運上帳)。明治12年の戸数130・人数600,馬1,物産は瓦・素焼火チリン類・酒・醤油,民業は農3戸・工18戸・商43戸・雑業63戸(福岡区地誌)。明治11年福岡区,同22年福岡市に所属。明治22年の戸数111・人口645(福岡市誌)。同年春吉村字七軒屋裏・字馬場を編入。戦前はガラス店・家具店・傘店・薬局などの並ぶ町で,空襲の被害はまぬがれた。戦後は国体道路の建設により本道の様子が変わった。昭和41年一部が祇園町・上川端町となり,残余は同44年祇園町となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7210524