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北高柳村
【きたたかやなぎむら】


旧国名:筑後

(近世)江戸期~明治9年の村名。筑後国山門(やまと)郡のうち。矢部川下流左岸沿いの平野部に位置する。村名は高柳村が南高柳村を分村したことによって生じた。柳川藩領。小川組に属す。村高は,「元禄国絵図」703石余,「天保郷帳」767石余,「旧高旧領」706石余。明治5年の反別は98町9反余(郡郷/立花家文書)。万治3年分限帳によれば,村内に十時半左衛門の知行100石,池辺角兵衛の知行217石がある。1軒で年貢100俵以上納めるものは村寄せに及ばず,単独で上納する特権が与えられたが,該当するものは両開村の六丁甚平(古賀氏),三潴(みずま)郡の霜被り弥七(高田氏),当村の馬場氏の3軒のみという(旧柳川藩志)。村社は日吉神社。慶長7年創建の浄土宗養安寺は来迎寺の末寺であったが,廃寺。明治6年高柳小学が開校し,翌7年の教員数3,生徒数は男73・女3(県教育百年史)。同9年高柳村の一部となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7210639