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櫛田神社
【くしだじんじゃ】


福岡市博多区上川端町にある神社。旧県社。祭神は大幡主命・天照皇大神・素盞嗚命。社伝によれば,天平宝字元年に伊勢国(「続風土記」は河内国と記す)櫛田社を勧請して創建とするが,博多の鎮守として繁栄してきた当社の性格からすれば,平安末期に大宰大弐として平清盛,ついで弟頼盛が九州に下向して着任し,博多を平氏の対宋貿易の窓口として掌握・整備した際,父祖以来の所領でやはり対宋貿易の根拠地としていた肥前国神埼荘の櫛田神社を勧請したとする説の方に説得性がある。当初は,農耕女神の豊次比売命を祀る肥前の櫛田神社の末社であったと考えられるが,早い時期に本末関係から脱したらしく,その過程で祭神も男神である大幡主命に替えられたものであろう。鎌倉末期には,鎮西探題北条随時らの信仰を集め,博多の大火による罹災の時も彼らが再興した。中世を通じて,大内氏・大友氏などの博多の支配者の崇敬を受け,天正5年には大友氏の家臣綾部玄蕃允藤原理昌が肥前国某寺鐘銘を削除して寄進銘を追刻している(県文化財)。そのことは正任記・櫛田神社文書などの関係史料からもうかがわれる。さらに,中世以来今日まで,当社が博多の民衆の信仰の中心であることをもっとも端的に示すのは,当社の祭礼で博多の年中行事ともなっている祇園山笠であろう。江戸期の祭りのにぎわいを,「続風土記」は「此日は近所の士庶集まるのみならす,国中の男女隣国の遊客,作り山を見んとて,かねてより博多の町に来りつどひて,やとる者そこばくなり。作り山の通る所は,見る人ちまたにみちて,日のあつき盛なるに,おしあひて,所せくいたつかはしきありさまなり」と記すが,状況は今日も変わりなく,最近では全国的にも有名。室町期に京都八坂の祇園社から勧請された祇園大神を主祭神として博多全町をあげて行われるこの祭りは,博多祇園山笠行事として国重要無形民俗文化財。その山笠関係資料は,梵鐘とともに境内の博多歴史館に展示されている。明治5年郷社となり,同42年県社に列格。例祭は7月15日,10月23日。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7210795