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許斐山城
【このみやまじょう】


平安期~戦国期の山城。宗像(むなかた)市王丸に所在。宗像郡福間町との境界に位置する,許斐山の山頂部に築かれた。山頂付近に東西15m×南北20mほどの平坦地があり,ここが本丸跡で王子神社の小祠が祀られている。本丸東側に大きな空堀と郭,西側は一段下がって二の丸が配されている。二の丸跡の西にも大きな空堀があり,その南西は馬場跡とされ,そのほか城域には用水池・帯郭・土塁などが残る。「続風土記」「宗像郡誌」などによれば,この城は大治年間に宗像大宮司第15代氏平が創築し,のちに大宮司家の家人許斐氏が在城したという。また「続風土記」によれば,天正11年,大友宗麟の部将立花道雪・高橋紹運が来攻し,許斐山麓吉原で後詰めに赴いた宗像大宮司氏貞の軍勢を破り,次いで宗像民部が守る許斐山城を攻略し,以後,立花氏の持城となり,天正15年,豊臣秀吉の九州出兵ののち破却されたという。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7211191