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小広田村
【こひろたむら】


旧国名:筑後

(古代~中世)平安期~戦国期に見える村名。筑後国山門(やまと)郡のうち。立花統虎(宗茂)の天正15年10月13日付,安楽寺領安堵状に関する書上と思われる断簡があり,山門郡内として本吉・北分・朝井(日)・中村・下小河等とともに「小広田 十六町」と見える(太宰府神社文書/博多史料8)。ほぼ現在の瀬高町東部の集落名であり,小広田は北広田の誤写か誤読と考えられ,現在の字北広田と想定できる。なお,小広田の地名は八幡宇佐縁記に神領由来書上中,三毛郡項として本庄とともに小広田がある(到津文書/大分県史料24)。田数は起請定14丁(町)5反30,宮加地子稲291束2把とある。前の太宰府神社文書と異なり三毛郡とするが,傍注に「卅余丁宰府勘文定」といい,町数の付合を考慮すれば,同地を示すものとしてよかろう。国半は不輸と筑後国末尾に記す。書上中の紀年から推定して11世紀中葉の社領を語るものであり,当地が八幡宮領であったこと,中世には太宰府天満宮領であったことを示すが,文禄4年の筑後国知行方目録には,その頭書に841石8斗9升の検地高で北広田村とあり,一円に立花氏支配となる(立花文書/県史資料4)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7211195