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米屋町①
【こめやまち】


旧国名:筑後

(近世~近代)江戸期~昭和48年の町名。江戸期は久留米城下の1町。城の南方に位置し,北に片原町,南に鍛冶屋町,東西は新町・細工町に続く。地名の由来は,当町草創時に米屋が居住していたことにちなむと思われる。「石原家記」には,元和7年に「山伏玉養院,米屋町に屋敷取立」とある。宝永年間の家数37(啓忘録抜萃),安永年間の町間数56間(筑後志)。江戸末期の掛り町別当は井筒屋(両替町)であった。「延宝絵図」「筑後志」に米屋町横町の町名が見え,安永年間の間数36間,しかし,「天保絵図」には記載がない。同町は南裏の鍛冶屋町へ行く横道で,明治初期は米屋町横手と称した。当町は,上組・中組・下組と横手・池町で編成される。旧城下町中心街の1つとして明治期以降も栄え,「加藤田日記」の明治5年の条に,夜店に士族たちが金魚・植木を展示したと記されている。同6年,のちのゴム産業月星化成の槌屋が足袋店を開業。同13年久留米藩絣商の組合である千年社が設立され,同16年活版印刷業観文社も開業した。同17年の戸数56・人口291。同18年老舗二文字屋が金文堂書店を創業。同22年久留米市の町名となる。大正14年の戸数48。昭和3年三本松町・細工町とともに鈴蘭灯設置。同7年通りは新名称「中央通り」の一部となった。昭和20年の戦災で町の大半を焼失。同45年の世帯数37・人口135。同48年一部を日吉町に編入し,残余は中央町となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7211222