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細工町
【さいくまち】


旧国名:筑後

(近世~近代)江戸期~昭和48年の町名。江戸期は久留米城下の1町。城の南方に位置し,東は米屋町,西は今町に続き,北に呉服町通り,南に池町川がある。町名の由来は,細工をする町人が古くから居住したためと思われ,著名な金工桂永寿は当町の出身といわれる。「延宝絵図」に町名は見える。宝永年間の家数44(啓忘録抜萃),安永年間の町間数1町59間(筑後志)。江戸末期は町別当布屋(両替町)掛りに属する。明治17年の戸数49・人口295。上町・下町・池町で構成され,明治期以降も市の中心街の一画として栄えた。明治中期には柳屋・紙金両店のカマボコが有名となった。明治22年久留米市の町名となる。昭和3年三本松町,米屋町から当町にかけてはじめて鈴蘭灯が設置され,同8年町通りは新称の中央通りの一部となった。大正14年の戸数59。昭和20年戦災で焼失するが,戦後,衣料・被服関係店舗を主に復興した。同45年世帯数52・人口234。同48年中央町となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7211281