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堺町
【さかいまち】


旧国名:豊前

(近世~近代)江戸期~現在の町名。江戸期は小倉城下の1町。小倉城の東に位置し,北は鍛冶町に接し,町並みは東西に延びる。東曲輪のうち。町名は宝暦年間からのもので,古くは芳水町あるいは二本松と称したとする説もあるが(小倉市誌),細川氏時代の寛永7年に「八並少介宿ハ,さかい町筋せんは(船場)より七丁めノ横町」との記述が見えており(日帳),江戸前期には堺町を称する町域が形成されていた。天保年間頃の藩士屋敷絵図では,丁数は3~6丁目までで,西は寺院地区,東側は武家屋敷になっていた。幕末期の城下町屋敷絵図には堺町とあるのみで,丁数の記述はない。東西の通りの北側に22軒,南側に21軒,合計43軒程の町家が並び,鍛冶屋3軒・大工4軒が見える。明治17年の戸数68・人口207。同20年の戸数94。同22年小倉町,同33年小倉市,昭和38年北九州市小倉区,同49年からは同市小倉北区に所属。昭和46年からは1~2丁目がある。同46年一部が鍛冶町1~2丁目・魚町1~4丁目となり,紺屋町・鍛冶町の各一部を編入。明治12年大坂町の化育小学校が移転して同15年に小倉東小学校,同24年堺町尋常小学校,同34年堺町第二尋常小学校と改称。同44年天神島に移転。大正12年堺町尋常高等小学校が開校。2丁目の小倉小学校は昭和43年に設置された。昭和22年の世帯数114・人口482(男231・女251)。閑静な住宅街であったが,昭和30~40年頃から西部に酒場・飲食店などができ,鍛冶町とともに飲食店街となっていった。また南端の大通り(通称小文字通り)沿いには金融機関および関連用地が並んでいる。世帯数・人口は,昭和50年66・188,同58年52・113。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7211318