志賀島
【しかのしま】

旧国名:筑前
博多湾と玄界灘の境にある志賀島全域および同島につらなる海の中道に位置する。博多湾湾口に位置し,海の中道により陸繋島となる。島の大部分は平尾花崗閃緑岩を主体とする深成岩類からなり,2系統の断層により,ほぼ平行四辺形の,一種の地塁となる。中央部東寄りが最も高く,標高168.6m,面積5.8km(^2)。史跡に富む景勝地で,島全体を神域とし,「万葉集」以来歌枕としても著名。地名の由来は「近島」の転訛だという(続風土記)。古代は粕屋郡に,中世・近世は那珂郡に属したが,明治13年再び粕屋郡に属した。志賀海神社の神殿の後の山を勝山といい,これに続く御笠山・衣笠山を志賀三山という。島中が神功皇后の伝説でおおわれている。産土神は志賀海神社。志賀海神社の歩射祭・山ほめ祭・神幸祭は,よく古式を伝えている。国重文の志賀海神社鍍金鐘,地元民が「七夕さま」と称する室町初期建立の志賀海神社宝篋印塔(県文化財)などがある。祭り毎に浦君とよばれる八家の漁夫が,神所といわれる六つの瀬と一の瀬・二の瀬から獲った魚を贄(にえ)として献ずる。また2月5日の香椎の祭日には禰宜座の社人が海藻を香椎宮に献じる。
【志賀島(古代)】 奈良期から見える地名。
【志賀島(中世)】 鎌倉期から見える地名。
【志賀島村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【志賀島村(近代)】 明治22年~昭和28年の粕屋郡の自治体名。
【志賀島(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7211487 |





