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四拾町村
【しじっちょうむら】


旧国名:筑後

(近世)江戸期~明治9年の村名。筑後国山門(やまと)郡のうち。矢部川の支流塩塚川左岸の平野部に位置する。地名は開発当初の面積が40町歩あったことに由来する。柳川藩領。垂見組に属す。村高は,「元禄国絵図」630石余,「天保郷帳」730石余,「旧高旧領」816石余。明治5年の反別は54町4反余(郡郷/立花家文書)。慶長17年柳川本町札の辻から三池陣屋に通じる三池街道の一里石が当村に設置された。豊原小学校前に「柳河より一里」という道程標がある。街道筋である当村には出店が立ち,木賃宿・八百屋・日用品屋・菓子屋・反物屋などがあった。元文元年僧中山儀海が浄土真宗竜宮山崇樹寺を創建。文化9年10月15日伊能忠敬が当村を測量(測量日記)。氏神として天満神社,大日神社がある(旧柳川藩志)。また,天正6年2月正中日の日付が入り,阿弥陀三尊来迎図を描いた六君像板碑があり,地元の人はロクンゾウと呼ぶ。明治5年修誠小学(現豊原小学校)が四拾町出店に創立され,教員数2,生徒数36。同9年修誠小学塩塚分校を置く。同年4月本校を四拾町小学と改称。同年9月15日四拾町郵便局開局。同年豊原村の一部となる。現在の大和町豊原のうち。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7211500