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志床村
【しどこむら】


旧国名:筑後

(近世)江戸期~明治9年の村名。筑後国竹野郡のうち。耳納(みのう)山地中央部の北方,巨瀬(こせ)川下流右岸の微高地上に位置する。はじめ柳川藩領(田中氏),元和6年からは久留米藩領。諏訪組に属す。村高は,「元禄国絵図」170石余,「在方諸覚書」の古高250石,「天保郷帳」236石余,「旧高旧領」359石余。宝暦年間頃の役高は759石,久留米より4里(在方諸覚書)。寛政元年撫7斗9升,免率8ツ1歩2厘,人数128,馬23,常持村より1里(筑後上三郡取調手鑑)。嘉永元年頃の作柄は「6俵半の田方,5俵の粟作」で,平木名は戸数30,作柄は「鹿狩(筒井村より少し劣り候方)同様」(廻村書留)。文化4年の耕地は田6町余・畑田26町余・畑4町余(農政農民史料集)。豊後街道沿いの村である。天保3年の亀王組一揆では庄屋宅が打ち崩され,庄屋は出銀取立が一揆を引き起こしたとして責任を問われ閉戸処分となった(久留米藩百姓一揆ニ関スル調査)。春日・住吉両大明神を合祀する熊野権現,氏神を祀る天満宮,他に申若大明神(水神),阿弥陀がある(寛延記)。明治9年村内のうち平木名は菅原村に編入し,残りは志塚島村の一部となる。現在の田主丸町志塚島・菅原の各一部にあたる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7211523