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下塩塚村
【しもしおつかむら】


旧国名:筑後

(近世)江戸期~明治9年の村名。筑後国山門(やまと)郡のうち。矢部川の支流塩塚川左岸の平野部に位置する。江戸初期,塩塚村が上・下両村に分かれたことにより成立。その年代は未詳だが,正保2年柳川藩領地図ではすでに両村に分かれて見える。柳川藩領。垂見組に属す。村高は,「元禄国絵図」894石余,「天保郷帳」902石余,「旧高旧領」1,054石余。明治5年の反別は59町9反余(郡郷/立花家文書)。字小名番所は藩の遠見番所があったところである(旧柳川藩志)。塩塚川は15日潮には50石の船が出入りし,この沿岸には御仮橋・新田番所・流町などに河口港があった(県史3‐中)。当村出身の大関夕暮新五左衛門は享保15年の没(旧柳川藩志)。享和3年浄土真宗信暁寺が寺号を許可されている。文化9年10月15日伊能忠敬が当村を測量(測量日記)。安政5年僧武松広忠が浄土真宗開蔵寺を創建(旧柳川藩志)。氏神として住吉神社がある。また塩塚城の守護神であった毘沙門堂がある。明治9年塩塚村の一部となる。現在の大和町塩塚のうち。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7211640