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下東鰺坂村
【しもひがしあじさかむら】


旧国名:筑後

(近世)江戸期~明治9年の村名。筑後国御井郡のうち。筑後川の2次支流思案橋川流域に位置する。鰺坂の地名の由来は,昔沼が多く,アジガモが群れ飛んでいたことにちなむといわれ,当地はその東に位置することによる。もとは東鰺坂村一村であったが,「元禄郷帳」では上・下2か村に分けて記される。はじめ柳川藩領(田中氏),元和6年からは久留米藩領。五郎丸組に属す。村高は,「元禄国絵図」644石余,「在方諸覚書」の古高834石余,「天保郷帳」666石余,「旧高旧領」836石余。文化4年の田55町余・畑5町余(農政農民史料集)。宝暦4年の一揆では庄屋の名子であった清吉が庄屋の引替え要求の頭取りとなり5郡追放となった(宝暦四甲戌歳騒動御制詞)。また百姓大蔵は打首になる(石原家記)。寛延記によれば,上・下東鰺坂両村の氏神である若宮八幡宮は貴楽2年の創建といい,末社に松尾大明神・天満宮がある。ほかに藪天神・観音などがある。明治9年八坂村の一部となる。現在の小郡(おごおり)市八坂の下八坂地区にあたる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7211712