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下久末村
【しもひさすえむら】


旧国名:筑後

(近世)江戸期~明治9年の村名。筑後国山門(やまと)郡のうち。矢部川支流の沖端川上流左岸に位置する。文禄4年12月1日の筑後国知行方目録には「下久末村」の石高として865石4斗4升の石高が挙げられている(立花文書/県史資料4)。柳川藩領。本郷組に属す。村高は,「元禄国絵図」635石余,「天保郷帳」637石余,「旧高旧領」805石余。寛永年間小田部土佐守統房が当地に隠居し,別宅を庵として崇然寺という。妻は立花宗茂の妹である。寛文6年創立の六地蔵が南の道路傍にある。北に室町期の創立と思われる祇園社がある。慶長7年に建てたという一里石が南方を東西に走る県道そばにあり,「柳河より一里」と刻されている。文化11年西百町村庄屋嘉平次が当村庄屋を兼ね,同14年兼役を解かれる(本郷組大庄屋記録)。熊野神社がある。明治9年久末村の一部となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7211714