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新船津町
【しんふなつまち】


旧国名:筑後

(近世~近代)江戸期~現在の町名。江戸期は柳川城下の1町。本船津町と合わせて単に船津町と通称した。外城(郭)外の北西部,矢部川水系沖端川が西流する右岸に位置する。「柳河明証図会」には,「西東の通り,両側町なり,西の行詰に門あり,北へまがり(枝光)番所あり,小保通り(現大川市小保への道),肥前への道なり,番所の西に柳川井樋といふあり,往古は本船津と新船津の境にあり,今問屋の居宅の所なりしといふ」とある。有明海に注ぐ沖端川河口の港町で,江戸期には海運業大浜儀右衛門・堤源次らの回船問屋があり,島原・天草・五島・鹿児島との交易を行った。肥前街道の通過点として枝光番所が設けられ,陸上交通の要衝でもあった。伊能忠敬の「測量日記」の文化9年10月14日の条に,「新船津町別当中村元蔵小休,新船津町木戸外より初」と記す。明治4年蒲池鳳峰が浄土真宗大谷派玉泉寺を創建。同11年の耕宅地2町余,戸数91・人口451(県史資料2)。同22年柳河町,昭和26年柳川町,同27年からは柳川市に所属。同35年の世帯数53・人口289。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7212015