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水天宮
【すいてんぐう】


久留米市瀬ノ下町にある神社。旧県社。明治6年県社に列している。祭神は安徳天皇,その生母中宮徳子,その母二位尼平時子,天御中主神。全国水天宮の総本社。社伝によれば中宮徳子に仕えた擦察使局伊勢が筑後川辺に逃れ,壇の浦で亡くなった安徳天皇をはじめ平家一門の霊を弔い,同時に住民に加持祈祷を行ったのが始まりという。社地はたびたび移ったらしく,慶安3年久留米藩主2代有馬忠頼から筑後川畔の現在地に社地の寄進をうけ,梅林寺山(現梅林寺境内)から移転し現在に至っている。水天宮の呼称は文政元年9代藩主有馬頼徳が江戸の赤羽の上屋敷に分霊した頃からみられる。この水天宮が東京水天宮の前身である。以前は尼御前大明神と呼ばれていた。寛文10年社司が藩庁に提出した由緒書では,祭神は中央が尼御前大明神,左右は荒五郎・安坊大明神とある。当時の信仰では筑後川支流の巨勢(こせ)川の水神は九十九瀬(こせ)大明神(清盛),筑後川の水神は尼御前大明神(二位尼)と信じられ,社の護符「五文字(いつもじ)(原形は五大明王の種子で梵字)」を受けると河童を退け,水難をさけられると信じられていた。水天宮信仰の本来は筑後川水系の水神信仰が母体であろう。尼御前社は藩主参詣三社の1つで,信仰は遠方まで及んでいる。寛延2年には若津(瀬下港と一体である川港)に出入する大坂借船船頭中から神輿が寄進されている(石原家記)。江戸末期以降,各地に分霊され筑後川,矢部川水系に16末社があり,中でも著名なものは柳川市の沖端水天宮である。5月5日~7日の川祭,8月5日~7日の大祭は有名。戦前は神輿を御座船に遷し,供奉船を引き連れて下流までの神幸があった。社司は代々真木氏で,平知盛の子孫と伝える。幕末の尊王家真木和泉は22代祠司。境内に蛤御門の戦いで敗れ,天王山で自決した真木和泉守と同志16人を祀る真木神社,蛤御門にのぞむ和泉銅像などがある。記念館には真木和泉守関係の著作・遺品も展示されている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7212054