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簀子町
【すのこまち】


旧国名:筑前

(近世~近代)江戸期~昭和39年の町名。江戸期は福岡城下六町筋の1町。福岡城の北に位置し,東は大工町,西は湊町に連なる。町名は,町の北の海中に簀子石という大岩があったことに由来するという。元禄3年の戸数88(続風土記),文化3年の戸数93・人数532,間数319間余(文化9年福岡・博多地図)。摂州出身の天王寺屋,播州出身の赤馬屋(馬借商売)・奈良屋(旅出穀物運上支配)らが住んだ(続風土記拾遺)。藩の米倉である永蔵,制札場・人馬継所があり,元禄16年には藩札引替所が置かれた(福府秘要録)。享保3年町屋92軒と裏借屋58軒が(吉田家伝録),同10年29軒が類焼(長野日記)。天保5年古手屋吉坂権右衛門が年行司を勤めていた(同前)。真言宗長宮院(寛永年中開基)・浄土宗鎮西派円応寺・浄土真宗西派正法寺(いずれも慶長年間開基)がある。円応寺には井上周防・桐山丹波らの墓がある。明治4年福岡郵便役所,同6年に簀子小学校が開設。町は東西2町11間,南北2町7間,道幅2間3尺余。明治11年福岡区に所属。同12年の戸数149・人口796(男416・女380),民業は工28戸・商46戸・医2戸・雑業48戸など,物産は酒(福岡区地誌)。明治9年まで第1大区調所があった。同22年福岡市に所属。同34年福岡バプテスト教会設立。昭和39年大手門1~3丁目となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7212124