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田町
【たまち】


旧国名:豊前

(近世~近代)江戸期~現在の町名。江戸期は小倉城下の1町。小倉城の南西に位置し,旧板櫃川の右岸に近接する。西曲輪のうち。古くは田畑,沼地だったが,細川氏の時代に城下町として整備された。寛永年間は「ことのほかかしけ候」(日帳)と記録される。北は竪町,南・東は武家屋敷,西は紺屋町・鍛冶町に接し,正徳年間頃には1~4丁目までの町並みが整った(小倉市誌)。享保の飢饉では156人の餓死者を記録した(開善寺過去帳)。幕末期の城下町屋敷絵図では町並みは1~6丁目までに広がり,1丁目に59軒,2丁目44軒(うち6軒大工),3丁目43軒,4丁目36軒,5丁目33軒,6丁目22軒,合計237軒の町家を数え,天保年間には6丁目で4~5軒の草葺屋根の商家が見られたという(倉府見聞集)。寺院では万徳寺・本通寺・阿弥陀寺・安養寺・西応寺・明照寺・大通寺の7か寺が見える。明治17年の戸数は201,人口986。同20年の戸数259。同22年小倉町,同33年小倉市,昭和38年北九州市小倉区,同49年からは同市小倉北区に所属。大正9年西公設市場創設。同12年市役所(現小倉北区役所)が室町から移転。昭和3年には小倉警察所が室町から移転し,同6年労働紹介所が設置されるなど官公舎の建設が相次いだ。同13年には百貨店の玉屋が開店。昭和22年の世帯数279・人口1,004(男494・女510)。昭和46年一部が室町1~3丁目・大門1~2丁目・城内,同47年竪町1~2丁目となり,同年西紺屋町・西鍛冶町・板櫃の各一部を編入。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7212630