100辞書・辞典一括検索

JLogos

11

鎮西村
【ちんぜいむら】


(近代)明治22年~昭和38年の自治体名。はじめ穂波郡,明治29年からは嘉穂郡に所属。村名は往時この地域一帯を鎮西郷と称したと伝えることによる(合併調書)。大日寺・花瀬・潤野・明星寺・八木山・蓮台寺・建花寺(けんげいじ)の7か村が合併して成立。旧村名を継承した7大字を編成。村役場を大日寺に設置。合併時の戸数491・人口2,902,地積は田384町・畑72町・山林1,359町・原野879町など計2,775町。明治24年の戸数467・人口3,086(男1,595・女1,491),厩309,寺院2,学校3,船6(徴発物件)。産物ははじめの頃は米・麦を中心とする農産および林産が主で,石炭がそれに次いだが,石炭の産出が逐年増加。出炭量は明治27年8,000t余,同38年1万7,000t余,同40年2万8,000t余。明治40年飯塚町を中心に,周辺5か町村の合併運動が起こり,鎮西村は合併の方針であったが,関係町村の意見が一致せず,合併は実現しなかった(飯塚市誌)。昭和30年以降石炭鉱業合理化法の実施により,炭坑の閉山が続出。世帯数・人口は大正10年1,603・8,198,昭和37年1,491・7,032。同38年飯塚市の一部となり,村制時の7大字は同市の大字に継承。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7212770