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辻堂町上
【つじのどうまちかみ】


旧国名:筑前

(近世)江戸期~明治7年の町名。江戸期は博多の1町。御笠川下流左岸に位置する。新町流のうち。元禄年間の家数14,ほかに辻堂町中の家数10(続風土記)。宝暦年間は上・下2町となり,当町は家数23,間数72間余(石城志)。町名は博多七堂の1つの辻堂があったことに由来。江戸期には郡地へ至る辻堂口の門があり,大宰府につながる府大道に続く。江戸初期,大友氏時代に造られた房州濠があった(続風土記付録)。町の大部分を占める承天寺は仁治3年臨済宗の聖一国師が建立。その際,工事一切は宋の帰化人で貿易商人の謝国明が行った。同寺には聖一国師と入宋し博多織の始祖と伝えられる満田弥三右衛門の墓や,明治期の民権運動のなかではやったオッペケペー節の川上音二郎の墓がある。町の西側に若八幡宮があった。また唐人に習ったという空鐘(こま)を作る家が数戸あり,博多独楽という。延宝年間頃町には惣三郎という良工が居住し,以後良い独楽を惣三ごまと呼んだ(石城志)。宝暦年間に辻堂町上利助なる者は,同町在住のまま那珂郡比恵村庄屋を命じられ,店運上・切銭などは町並扱いをうけ面役銭は免除された(博多津要録)。慶応2年当時,当町の大店としてからし納屋の饅頭屋があった(博多店運上帳)。明治7年上辻堂町と改称。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7212799