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津積
【つつみ】


旧国名:豊前

堤とも書いた。御所ケ岳北麓に位置し,南側は大半が山林。御所ケ岳山に水田と集落が開け,農業用水は御所ケ岳山麓に点在する住吉池・御所ケ谷池・サヤケ谷池・高来池などでまかなわれている。地名の由来は,「豊前志」に「定村直孝翁云,此の村上に大池あり,されば此の池の堤より出でたる名か,はた津迫(ツヅメ)の意か,上古は総て此の近隣まで入海にて,此の村ぞ津の迫(ツメ)なりけむ」とある。御所ケ谷には,景行神社があって景行天皇行宮の跡といわれており,6~7世紀頃の山城遺構とされる神籠石(国史跡)もある。貝原益軒の「豊国紀行」には「むかし景行天皇十二年に筑紫に下り給ひ,此国の長峡県に行宮をたてて住給ふ……其行宮の有し所は,上野の東,馬かたけの西,堤村の十町ばかり南にあり。今も礎有り。天子の行宮有し故,此郡を京都郡と名づく。日本紀にも斯のことくかけり」とあり,「豊前志」に「景行帝の行宮の跡は今御所ケ谷と云へり」とある。また「太宰管内志」には「津積村御所ケ谷……是に御所と云名を負せたるは貴人の居城なり。景行天皇の長峡の行宮の跡なりとするは古の帝都に石畳を用い給はざる事を知らぬ人の説なれば論の限りにあらず」と記されている。地内には大島神社西南遺跡・津積御峰古墳群・津積御峰石塔群・内屋敷遺跡・藪ノ下石塔群・魂塚堀殿古墳群・高来池南古墳群・ヒガン田山古墳群・御所ケ谷池西古墳群・御所ケ谷池東古墳・鋤迫サヤケ谷古墳・鋤迫サヤケ谷遺跡・サヤケ谷東古墳群・西山遺跡がある。仏山(ほとぎやま)の山頂には,上稗田の漢詩人村上仏山の詩集を納めた「蔵詩巌」がある。
津積村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
津積(近代)】 明治22年~現在の大字名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7212827