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塔原塔跡
【とうのはるとうあと】


筑紫野市大字塔原字原口に所在。7世紀代に創建された寺院の塔跡。国史跡。この寺院についての直接的な文献史料は存しないので,具体的なことは明らかではないが,「上宮聖徳法王帝説」の裏書によれば,甲寅年(白雉5年)の孝徳天皇の不予に際して,筑紫大宰帥(この官職名そのものは追記であろう)の蘇我日向(そがのひむか)が般若寺を建立したとあり,時期的にみて当地がその遺跡に比定されている。さらに,その寺院は,のちに太宰府市大字南に所在する現在の般若寺跡に移建されたともいわれているが,日向の無耶志(むさし)という字が当地にも近い筑紫野市大字武蔵(むさし)の大字名に音通することから,般若寺をそこに所在する武蔵寺(ぶぞうじ)の前身とみなす見解もある。この両説にはそれぞれ一理あり,他に徴すべき史料は見られないので,にわかにはそのいずれとも決しがたく,ここではそれらを併記するにとどめる。当地は十王堂の跡とも伝えられているが,現在は天拝山の北山麓を走る県道の北側に接した畑地の中に1個の塔心礎が遺存するのみである。昭和41年に発掘調査が実施され,心礎は原位置から動かされていることが判明した。他の礎石はすべて散逸しており,また,後世の攪乱などもあって,この寺院との直接的な関連性をうかがわせるような遺構は全く検出されなかったので,本来の規模や具体的な伽藍配置などはほとんど明らかでない。心礎は一辺約180cm,厚さ約60cmの方形に近い花崗岩製で,上面を平坦に仕上げ,そのほぼ中央に径98cm,深さ11cmの円形柄穴を設け,さらに中心部には方形3段式の小さな舎利孔を作っている。この3段割り込み式の塔心礎はそれの形式上最も古期に属し,本県下では極めて珍しいものである。古瓦類などの遺物が出土したが,瓦の中に蘇我氏ゆかりの山田寺(奈良県桜井市)系の軒先瓦が含まれていることなどからみて,この寺院は7世紀後半代に創建され,8世紀前半頃までの比較的短い期間だけ存続し,以後は廃絶したと考えられている。本来の寺院名をはじめとして詳細については全く明らかでないので,便宜的に地名を冠して呼ばれているが,「続風土記」は,この塔の存在が塔原という地名の起源であろうと推定している。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7212995