徳力
【とくりき】

旧国名:豊前
紫川中流右岸に位置する。地名は,神功皇后が物部瞻昨連・安部高麿・安部安麿を率いて御船木を受け取ったという古伝により徳利木(企救郡誌)・採木(村誌徳力村)と称されていたが,細川忠興が眼病平癒を造化天神神社に祈らせたら平癒したため,慶長年間に徳力と改めたといわれる(豊筑古跡名残)。弥生時代の徳力団地遺跡や応永年間長野氏の支城であったといわれる大鍋山の城跡がある。「三代実録」元慶2年3月5日条に太宰府に企救(きく)郡の銅を採らせにと記されているのは,地内の図里(須理)のことであるという(企救郡誌)。銅山にかかわる金山・礦野原などの地名が残る(村誌徳力村)。地内に京都嵐山に似た山があり,慶長7年細川忠興が京都嵐山の桜を移し小嵐山と呼ばれるようになった(同前)。
【徳力村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【徳力(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7213062 |





