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床島村
【とこしまむら】


旧国名:筑後

(近世)江戸期~明治9年の村名。筑後国竹野郡のうち。南を筑後川,西を佐田川,北を長田川に囲まれた地域。はじめ柳川藩領(田中氏),元和6年からは久留米藩領。唐島組に属す。村高は,「元禄国絵図」68石余,「在万諸覚書」の古高150石余,「天保郷帳」102石余,「旧高旧領」218石余。宝永7年水利に悩む筑後川北岸の御井郡北野組21か村は,高島村庄屋鹿毛甚右衛門ら5か村庄屋の指導下に藩へ筑後川に井堰築造の願書を提出,正徳2年藩は普請奉行に野村宗之,総才判に草野又六を当たらせ,全領から人夫を徴発して完成。恵利大堰を筑後川に設け,これから竹野郡早田村分中州,床島村地内を経て西方の江戸村水門まで2,400mの用水路を通し,ここで分水路をつくって各村に配水した。水路の中間に水量調節用の床島堰,水量増加用の佐田堰を設けた(以上3堰の総称を床島堰と俗称)。工事途中,しばしば福岡藩側から境界問題や領内洪水と湿田化などの抗議もあった。灌漑総面積は,竣工当時は古田887町余・畑田540町余の計1,427町余であったが,元文元年には1,939町になり,現在では2,000haという。文化4年の当村の反別は田1町余・畑18町余(農政農民史料集)。氏神の八幡宮は新田義信の建立と伝えられ,ほかに地蔵堂がある(寛延記)。明治初年~9年沢田正世の寺子屋があった(大刀洗町史)。明治9年三川村の一部となる。現在の大刀洗町三川の南東部にあたる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7213066